エッセイ‐Ⅱ

 

🌸101・ショパンの恋人とワルツ       

私が目指すは、ピアノの詩人「ショパン」。

最近、ぜいたく病の講演をする際の余興として、コンサートも開いている。もっとも、それは芸術ではなく芸能のレベルではあるが・・。

 

芸能人は歯が命だが、芸人の小生はスライドが命。様々な絵や肖像画をスライドで示して、聴衆の注意を散漫にしながらピアノを演奏する。そうすれば、拍手喝采は間違いなし。

 

さて、皆さんよくご存知のショパンは、歴史に名をはせる作曲家でピアニスト。彼は、音楽の才能は当然ながら、学業は優秀。漫画やデッサンの腕前を生かして学内新聞を発行する多才ぶり。演劇をやらせれば将来名優になれる素質も十分にあった。その豊かな感受性は、たやすく彼を恋に陥らせた。ショパンが若かりし頃オペラ座の歌手コンスタンチアに憧れた。「私は理想の人に会ってしまった。今朝も彼女からの霊感を得て、このワルツを作った」と。「ワルツ変ニ長調(Op.70-3)」を聴くと、夢心地でステップを踏む二人の姿が瞼に浮かびあがってくる。

その後、かつて教え子であったマリア・ヴォジンスカに心を捕らわれる。彼女の家は由緒ある貴族で、国内の著名な科学者・芸術家が集うサロンであった。マリアは最高の教育を受け、音楽、語学、絵画などすべてプロ級。肺の患いもあり、ショパンはマリアと結婚できず、彼女の手紙を紐でくくり、わが悲しみと記し、生涯開けなかった。「別れのワルツ変イ長調(Op.69-1)」である。フランスで滞在中、文化的教養が高くパリ社交会で有名な作家のジョルジュ・サンドと出会う。彼らの恋愛事件は華やかな話題となり、世間から逃れるために逃避行。サンドは自由奔放と言われるが、長年にわたりショパンを看病し、恋人というよりもむしろ母親のように面倒をみた。二人の間が破綻した時に発表されたのが「ワルツ嬰ハ短調(Op.64-2)」。うっとりした叙情的な悲しみだが、澄み渡る大空の広々さをも感じさせる。

 

 

以上の3曲が私が選ぶベスト3。いずれの曲もエレガントでドラマチック。その時の心象風景が呼び覚まされる。短くとも美しく燃える恋を、あなたもしてみたらいかがだろうか?

                                    

🌸102・音の表現         

平成8年5月3-5日にThe 7th National Choral Workshop in Tokushimaが行われた1)。全都道府県から合唱指導者や合唱愛好家が集い、さらに日本のトップの音楽家が講師として招かれた。小・中・高校・大学・職場・一般からの合唱団や一般の参加者がレッスンを受け、成果を披露した。そして、地元の学校関係やおかあさんコーラスなどの各種団体が、心を込めて皆様方のおもてなしを行った。

 

このワークショップで、三善 晃先生の「表現とは」の御講演に私は感動した。三善先生は、ご存知のように、東京大学仏文科およびパリの国立コンセルバトワールを経て、桐朋音楽大学の学長を20年務めた方で、日本音楽界では神様みたいな存在である。小生のようなものが三善先生のことに触れるのは甚だ畏れ多いことであるが、先生は日本バイオミュージック学会の重鎮でもあられるのでお許し頂きたい。先生は、表現とはなにかを「表し」なにかが「現れる」ものだ。教育や訓練の場では概ね「いかに」に視点が置かれるが、「なぜ」という見地から分析すれば、主体としての「自分」に目覚め、芸術や生きる意味がおのずと明らかになる・・と、貴重なご示唆を賜った。また、先生が作曲された合唱曲2)について、それを歌う歌い手と「なる」までの「なぜ」を、解説くださった。

詩とその行間にある内の声をもすべてを含み小宇宙が凝集したような四声の曲。わずかな心の動きを小さなモチーフの旋律に託し、それが我々が認知できるか否かという潜在意識レベルに余韻を残す・・というような構築が内在しているのだ。先生がピアノで弾いた分散和音により、極彩色のイメージの世界が私の脳に広がった。音符と音符の間には楽譜に表記されていない和音があり、芸術家や演奏家は、音間をも読まなければならないことが分かった。

 

従来、言葉の中枢は左側頭葉にあり、芸術の中枢は右側頭葉にあることはよく知られている。最近、音楽家で絶対音感をもつ人は、側頭葉の後部が右よりも左が著明に大きいことが明らかにされた3)。様々な報告をまとめると、音楽や作曲活動は、言語活動よりもはるかに高次の機能を営むもので、右脳と左脳の複雑なネットワークすべてがうまく働かなければならないという3)。三善先生は「脳から音楽が溢れ出してきて、音符を書きとめるのが追いつかない」と。三善先生の脳が宇宙や神様とつながっているような気がするのは、私だけではないだろう。

 

今回のワークショップでは、小学生のモデル合唱部が初登場した。徳島市佐古小学校の合唱部がそれで、全国NHK合唱コンクールで平成6年に全国第1位、7年には3位に入賞4)。これは全国の9つの地区の代表で競うものだが、この2年間に連続してブロック代表になったのは同校だけであったという。その快挙の秘密は何だろうか?同校はごく普通の小さな公立小学校で、特別な子供が集まっているわけではない。練習は小学4-6年生が毎朝30分行っているだけで、放課後は子供も指導者も忙しく時間が取れない。歌の練習よりも発声の基本練習に多くの時間を割いているらしい。指導されているのは冨田操先生で、地元のおかあさんコーラス「グリューン・コール」を全国大会で入賞までさせた方である。

 

お話を伺うと、「児童に指導する時に、歌の内容を説明してイメージを固定するのではなく、逆に、子供が自由にそれぞれのイマジネーションで歌えるようにアドバイスしている」と。「こんな小さな子供に理解できますか」と尋ねると、「子供は難しい言葉の意味は理解できませんが、表現することについては、大人の合唱団やおかあさんコーラスと同じだと思います」との御返事を頂いた。さて、私はステージでピアノ演奏をすることがあるが、音楽を通じて、自分の気持ちを表現させて頂いている。音楽が大好きで、音を楽しんでいる私の姿をみて、その気持ちが人に伝われば幸せに思っていた。しかし、今回の三善先生のお話から、私は「いかに」ばかり追いかけ「なぜ」を考えない表現をしていなかったか?子供の純粋なとらわれない心こそが、最も大切なのかもしれない。

参考資料
1)
主管は徳島県合唱連盟.理事長は吉森章夫先生で、徳島県音楽協会会長・徳島大学総合科学部長も兼任

 

2)三善晃.混声合唱組曲「五つの願い」カワイ出版 1989
3)Rachel Nowak. Brain Center Linked to
Perfect Pitch.Science 267(Feb 3):616,1995
4)
CD盤: 6EFCD25056(6)  7EFCD25078(7)

 

 

 

🌸106・聴診器片手に鍵盤を想う 

南洋の青い空とまぶしい海に、拍手喝采が沸き起こる。スポットライトの中で黒く輝くグランドピアノの前で私は少しはにかみ、笑顔からは「芸能人の命」として有名な歯の輝きが一段と増す。

 

ここは南の楽園マレーシア。私は国際舞台を飛び回って人々に感動を与える名ピアニスト・・ではなかった。今年3月、当地で開かれた「家庭医療学における研究手法のワークショップ」のウェルカムパーティーでの一こま。国内外で幅広く活動している日本プライマリ・ケア学会から、今回私が参加したのである。そこで、私はジャズやクラシックのピアノ演奏を披露し、アジア太平洋諸国からの参加者の親睦に一役買ったというわけ。音楽は国境を越えた言語であると言われている。言葉は各国の文化を反映し、微妙な意思の疎通、特に日本的な心の機微などを伝えるのは困難を極めるが、音楽にはそんな障壁は一切ない。聴く人の心に染み込み、人と人の間に、まるで血液のように心を通わせる。音楽を趣味とする人間にとってそれは至福の瞬間だ。

 

私は、小学校時代、本気で音楽家を志していた。卒業文集のテーマはもちろん、ベートーベンのような髪型でピアノを奏でる未来の私の姿であり、中学時代はエレクトーンコンクールの四国大会で優勝したこともある。特に即興演奏は「誰にも負けない」という自負があった。こういった思いこみは、ひとつの道を志すうえで大切な要素だが、私の場合、これが全国大会でもろくも崩れさってしまう。わずか五歳の天才的な少女に、私の夢は完膚なきまでにたたきのめされたのであった。その後、紆余曲折を経て医学を修め、日常の診療に忙殺されていたが、ふとしたきっかけで平成五年、ピアノコンクール大学・一般の部に出場したら、四国地区で最優秀賞を獲得してしまった。これが二十年以上も眠っていた血と惨めな敗北の記憶を蘇らせた。私は楽譜を穴があくほどじっと見て考え、CDを聴きながら演奏者の解釈を読みとり、演奏時にどのように心を落ちつかせるか、などを研究課題にするようになった。楽譜や演奏の分析は容易なものではなく、作曲者や演奏者の意図はなかなか分からない。しかし、もやもやと数カ月考え続けていると、ある日、突然インスピレーションがひらめき、一瞬のうちに悟ったような気持ちになってしまうこともある。技術的な修練よりも、作曲者や演奏者の心理状態を探究する、心の修行と言ってもいいかもしれない。

 

近年、バイオミュージック的な研究がすすみ、脳波がα波優位になると、リラックスしながらも集中できるということが明らかになってきた。自分の心をセルフコントロールできる可能性が開けてきたのである。音楽家の心情に迫り、その心情を追体験することが、セルフコントロールにつながれば、心の面から治療にアプローチすることもでき、音楽の新しい可能性をみつけられそうだ。最近、糖尿病や肥満などに関して講演する機会に恵まれることがあり、その際にピアノ演奏を行っている。講演を聴いてくださる皆さんをリラックスさせ、健康管理に気負いなく臨んでいただきたい。それが私の「音楽家」としての本望であろうと、聴診器片手に鍵盤を想っている。

板東 浩 

 

1981年徳島大学医学部卒業、1985-6年に米国の家庭医療学レジデンシープログラムで臨床研修、1990年から徳島大学医学部第一内科助手。専門は、内分泌・糖尿病、プライマリ・ケア医学。著書に「絵でみるホルモン」(医学書院)他多数。音楽領域では、第7回全四国エレクトーンコンクールおよび第25回全四国ピアノコンクールで第1位に入賞。現在、エッセイなどの執筆や音楽活動など幅広く行っている。

 

 

 

🌸112・8の字ダンス 

果てしなく広がる草原の向こうに、山脈の稜線がかすむ。ここは南アフリカ土着のズールー族の集落だ。私は、サファリルックに身を包んだ探検家「ヒーロシー・バン・ドゥ」。この地へは、謎の「8の字ダンス」の源流を求めてやってきたのだ。

 

少し前、私は関西国際空港から空路27時間、南アフリカ共和国のヨハネスブルグを経由し、同国唯一の避暑地ダーバンに降り立っていた。国際会議に臨むためだ。そのオープニングでTranskei大学合唱団の演奏を聴き、医者だと信じていた自分が、実は、探検家だったことに気づいたのである。私を永い医者の眠りから覚ましたのは、彼らの腰つき?だった。指揮者はタクトを持たず、手も振らない。一体、どうやって?そこに見たものは、「蜂」のように「8の字」に、怪しく揺れ動く「腰」だった。団員は、指揮者の腰の動きに合わせて、腰をくねらせながらステップを踏む。実際彼らの腰は、弾力性があるゴム毬が弾んでいるように力強くしなり、歌声も深みがあり、リズム感も素晴らしかった。

 

しかし、探検家に目覚めた私は、内容の素晴らしさよりも、腰が柳のように揺れ動く様に心を奪われていたのだった。ズールー族の集落へは、ダーバンから車で45分ほど。ワラで作った直系3mほどの半球状の家に住んでいる。これは、ニッポンという東洋の小さな島国で冬に雪を固めて作るカマクラと似ている。すぐ横の庭がステージとなり、一族の伝統的な歌と踊りを観察した。彼らの声は重厚そのもの。腹の底から揺さぶられる。その声は、はるか彼方の稜線まで届いているようだ。これでは野生動物もオチオチ眠ってはいられない。この迫力のある声について、医者として培った興味が湧いてきた。彼らの体格は逞しい。筋肉質のうえに、ほどよく脂肪がのっている。おそらく声帯にも、適度に脂肪が沈着していることがうかがえる。これらは遺伝的な要因として重要だ。さらに、環境的な因子としては、広大な草原でコミュニケーションするために、自然と腹式呼吸が身についたのだと思う。歌を聴いていると、今度は音楽家としての私の人格が甦ってきた。ハーモニーは4小節目には最初の和音に戻ることが多く、シンプルであるが安定感があり、大地にシッカリと根付いているような印象を受ける。リズムは、丸い木を削り貫いた太鼓を、木の枝で力いっぱい打ちならす。

 

驚いたのは、彼らの踊りだ。民族衣装や仮面をつけて、祭りや戦いの場面を演じる。腰をどっしりと安定させ、4拍子の音楽にあわせて片足を高くあげ、地鳴りがするほど、全体重をかけて大地を踏み続けるのだ。この動作をずっと見ていると、また、医者の私が目覚めた。「行軍症候群」という病気をご存知だろうか?兵隊が長時間歩いて足の裏に負担をかけると、足底の血管の中で赤血球が壊れてしまう病気のことだ。この病気を患う人はいないか、と現地の医師に尋ねると、「ない」との返事。「血管が強いのか?」と冒険家の私までが興味を持った。彼らの素朴で力強いダンスの源は、体格、声帯、腰から生まれるリズム感、血管などの遺伝子が脈々と受け継がれた結果なのではないだろうか?腕や手指を使って、細やかで洗練された表現を追求する東南アジアのダンスとは明らかに違う。世界中を探検する私は、彼らの歌こそが人類のコミュニケーションの原点であるような思いに捉われた。

 

人類共通の言語に「歌」というものがあるならば、今日の歌への進化はどういった経路をたどったのか。その中で彼らの歌はどこに位置づけできるのだろうか。新しい課題に直面した私はまた医師の仮面を被り日々の多忙な業務をこなしながら、再び目覚めの時を待つのであった。

 

 

🌸124・手塚治虫はピアニスト 

手塚治虫原作の演劇「陽だまりの樹」を、銀座で観た。手塚治虫の役は中井貴一、漫画雑誌の編集者には宮沢りえ。

二人は取材のため、幕末の江戸にタイムスリップした。そこには、治虫の曽祖父にあたる手塚良庵という蘭方医が実在していたのである。

 

手塚良庵の血を引き継ぐ曽孫の名前は、治。子供のころから虫が好きだったので、漫画家のペンネームは治虫とした。医学部を卒業し、タニシの精虫の研究で医学博士号も取得。医者でもある手塚先生の漫画には、生命の尊厳や創造というテーマが流れている。天満博士が創りだした「鉄腕アトム」、天才外科医の「ブラック・ジャック」、猿田博士が生命の創造に思いをはせた「火の鳥・未来編」、バイオテクノロジーによる新生命の誕生を予感させる「ネオ・ファウスト」などが、科学編と言える。歴史編として、「アドルフに告ぐ」では、ファシズムの台頭から破滅までを、「虹のプレリュード」では、作曲家ショパンの激動の青春を描いている。さて、手塚先生は素晴らしいピアニストでもあったことを,皆様はご存知だろうか?ピアノのコンテストで優勝するほどの腕前。

 

特に即興演奏では、その場の雰囲気に合わせて当意即妙にアレンジし、聴く人を感動させたという。手塚先生は、漫画でも音楽でも、新しい世界の創造者であり、愛とヒューマニズムを持った演奏家でもあったと言えないだろうか。江戸期三百年の大樹は、すくすくと育ったが、陽だまりでまどろんでいるうちに、中身は虫に喰われて空洞となってしまった。現代の日本も、高度成長、バブルと浮かれ、その余韻にまどろみつつ何かに内側を蝕(むしば)まれてきている。

 

手塚先生が日本を治療してくれるなら、何を創造し、何を演出するだろうか。

 

Salala No.23 (1998.9.4.), 1998

 

 

 

🌸1262000年に向けて                

このたび、コラムを担当させて頂くことになった。本地域には、佐古の商店街、蔵本の医学専門学校、鮎喰の袋井用水など、経済・文化の歴史がある。このミニコミ誌は、県下に50種類ある同誌の中で最大の配布数となるだけに、身が引き締まる思いだ。 

 

さて今年は世紀末に揺れ、地震や異常気象、経済問題など多難の年だった。大予言で知られるノストラダムス。彼は偉大な医師でもあり、人々をペストから救った。衛生や環境の改善にも力を注いだ。数百年後の人類の姿を水晶の中に見いだし、時空を越えてメッセージを送ったのだろう。人の命を脅かす原因は変化してきた。

 

昔は結核などの感染症、今後は肥満や糖尿病などの生活習慣病だ。ぜいたく病は自覚症状がないだけに、よけいに怖い。日本は豊かになったが、環境、医療、経済など治療が必要。国全体が健康となることを願い、皆様と一緒に来る2000年を考えたい。

(医師・音楽家 板東 浩) 徳島新聞販売所徳島市西部地区かわら版(1999.12.5)創刊号1:1, 1999

 

 

 

🌸127・モーツァルトと神の愛  

演劇「アマデウス」を有楽町の日生劇場で楽しんだ。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト役は市川染五郎、サリエリには松本幸四郎。親子キャストのためか、舞台から複雑なメッセージが送られてきた。モーツァルトは幼少の頃より旅人であった。ステージパパのレオポルドとヨーロッパ中を駆けめぐり、父と子の間に形成された特殊な心の絆。父親の存在が息子にとって大きなストレスだ。夢に父親が現れてうなされる。ミサの作曲を依頼する人の影は、現実なのか夢なのか。ステージでは、マントを纏った影は幸四郎が演じ、染五郎に精神的苦痛を与え続けたのである。 

 

その苦痛が廻り回って還ってきたのか、数十年後、サリエリは精神病院にいた。モーツァルトの才能に嫉妬し、「モーツァルトを毒殺した」と自分から言い出した。この場面は、映画「アマデウス」の冒頭のシーンにある。ご覧になった方も多いだろう。しかし、当時、心を病むサリエルの言葉を、周囲は全く相手にしなかったとされる。モーツァルトの死因を調べると病死説と毒殺説がある。当時の検死調書には急性粟粒疹熱と記されているが、リウマチ熱、心不全、尿毒症なども推測されているのだ。毒殺説には水銀中毒があり、秘密結社フリーメーソンや帝室劇場総監督のローゼンバーク伯爵の陰謀だという話も伝えられている。

 

アマデウスの舞台は、ロンドンの初演から常に少しずつ進化し続けている。音楽の歴史も同様で、サリエリは当時の音楽を少し進化(evolution)させた。一方、モーツァルトは、進化というよりも大変革(revolution)を起こしたと言えるだろう。近年、進化論が見直されている。以前には、ダーウィンの適応説が知られていた。ジラフ(キリン)の首が長いのは、高い所にある餌を取ろうとしているうちに、次第に首が長くなったとする適応説である。しかし、中間の首の長さのジラフが見つからないことから、この説が疑問視されていた。様々な研究の結果、原因は遺伝子の突然変異によることが明らかになった。今や、従来の適応説は否定され、2000年という現時点では突然変異説が最も有力である。進化と寿命の関係はどうだろう。サリエリは秀才で適応能力に優れていたから、長生きをした。

 

 

一方、モーツァルトは天才で、突然変異のような尋常稀な能力があったため、若く夭折した、とするのは言い過ぎだろうか。 「モーツアルトの音楽は神の音楽だ」と評した人がいる。宇宙の相対性理論を唱えたアインスタインだ。博士は音楽を愛したバイオリニストでもあった。ドイツの特許許可局に勤めながら、自らの物理学の研究を続けていた。多くの人のアイデアに触れたことにより、彼の発想が進化し、地球にとって革命的な発見につながったものと思われる。自然科学的に物事を見ることは、「神のパズルを解く」ようなもので楽しいと博士は言う。物理学の歴史は、アリストテレスが風呂の中で体が軽くなるという、日常生活の視点から始まった。

 

次に、医学生のガリレオ・ガリレイが振り子の時間を計り、地球という巨視的レベルになった。その後、ニュートンが地球、月、太陽の範囲で万有引力の法則を提唱。以上の物理学の進化を、博士が大宇宙の次元でまとめたのだ。物理学の天才であった博士だからこそ、音楽界の天才たるモーツアルトを理解し、評価できたような気がする。言い換えれば、科学を突き詰めると、芸術の究極の姿と近い存在になり、大宇宙も人間という小宇宙も、神もすべて同一になってしまうのか。今もなお、モーツアルトとアインシュタイン博士は、宇宙を旅しながら、異次元で熱っぽく議論を戦わせているかもしれない。

 

 

 

🌸128・旨い店            

徳島と言えば鳴門の渦と阿波踊り。小鳴門海峡に面してそば道場とりむ・088-688-0132がある。御亭主は体育学専攻の鳴門教育大学の名誉教授。長野戸隠村でスキー三昧している時に名品そばに出会い修行の道へ。メニューはざるそば、そばがき、など。小麦粉などのつなぎは使わずそば粉100%から作る。口の中で香ばしさがはじけ、喉越しも抜群だ。おつゆはカツオブシと厳選コンブから抽出したまろやかな味わいが魅力。オードブルは、店の横に浮かぶ小舟で早朝に獲ってきたタコの刺身とわかめ。店のつくりはログハウス。フィンランドから輸入し教え子などの協力で建てた。前日までに予約必要。冬期は信州やヨーロッパにスキー”遠征”のため休業。そばに舌鼓を打った後は、大塚国際美術館で五感に加え感性も磨いてほしい。

 

鳴門から車で25分の徳島市。阿波踊りは812-15日に行われ150万人が訪れフィーバー。中心部にある7つの桟敷では観光客も踊り楽しめる。近くには、新横浜ラーメン博物館に出店し、徳島ラーメンを一躍全国区にした老舗のいのたに・088-653-1482がある。コクがある茶色のスープ、モチっとした麺、豚バラ肉、鎮座する生卵など他県では味わえない旨みがぎっしり。

 

オーナーの二人姉妹は栄養士とオペラ歌手。

 

コンサートでは筆者がピアノ伴奏を担当したことも。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々、食べなきゃ損々」。

 

 

 

🌸129・文化の発信      

20世紀最後の今年、経済界の”巨人”大塚正士氏が死去した。

 

県民栄誉賞が贈られた氏は、徳島の経済・医療・文化・スポーツの発展に大きく貢献。「裏地の経済があればこそ表地の文化が育つ」と、経済と文化の表裏一体を唱えた。その集大成として、創業の地・鳴門には大塚国際美術館が完成。ギャラリーのコンテンツとスケールに度肝を抜かれた人も少なくないだろう。本四架橋、エックスハイウェイの開通、淡路花博の波及効果と最近徳島にとって明るい話題が続いている。

 

これを機に徳島から文化を全国に発信したい。心も身体も元気になる阿波踊り。鳴門ドイツ館には、ベートーベンの第九交響曲が初演された板東俘虜収容所の資料が多数。また、フラメンコで文化庁芸術祭賞を授与された阿波特使の小島章司氏、ニューヨークで絶賛されたジャズバンドの林郁夫氏など、世界的な芸術家も輩出している。が、その故郷としての徳島を意識している人は、案外少ないのではないだろうか。この文化を次の世紀に伝え、後輩を育てる土壌を作るために、ひとつ提案したい。

 

百年に一度の今年の大晦日。21世紀へのカウントダウンに向けてオペラ、演劇、バレー、タップダンスなど、踊る人も観る人も楽しめるフェスティバル「21世紀への徳島芸術祭」を企画してはどうだろうか?もちろんトリは阿波踊り。参加者全員で21世紀に踊り込む、なんていかがかな?(徳島大学付属病院内科医師)

 

 

 

🌸130・狂言と想像力 

舞台には農家の婿を演じる野村萬斎。

婿の田はカラカラだが、隣の舅の田には満々たる水。婿と舅の水争いが起こる。狂言「水掛むこ」の一こまだ。大喧嘩で互いに水を掛けあう仕草。実際には水を使わないが、観客にはびしょぬれの二人の姿が目に浮かぶ。 自分の田だけ良ければ構わない自己中心者が描かれている。

 

そういえば、こんな自己虫が増殖中。親に寄生し家事や食事など面倒なことはしてもらう。自分の給料は遊びに使うのが当然のパラサイトシングルも増えている。子供の頃から遊びといえばテレビゲーム。友達との会話もろくにない。想像力が働かずイメージを想い描けない。本を読まずボキャ貧で、水掛け論さえできない。自分の気持がわからず、ただムカツいて狂った言動へ。仮想現実の世界に住む若者が、身も凍るような事件を引き起こす。勉強以外の子供の教育は、私たち親の肩にかかっていると思いませんか?

 

 

 

🌸131・鮎との出会い   

鮎釣りは夏の風物詩。吉野川を上流にさかのぼると、名人たちの竿が遊ぶ、アユには釣り人ならずともファンが多い。優美な姿に加えて独特の香りを持つため、香魚とも呼ばれている。塩焼きにして頬張ると、口の中にすがすがしい清流の香りが広がる。アユの稚魚は川で生まれた後、海に向かう、6cmほどに育つと川に戻って遡上、その姿には上品な外観からは及ばない力強さがあり、秋には産卵して一生を終える。年魚とも呼ばれるように、わずか1年の命、それだけに、その生きざまや可憐な姿は日本人の心を打つ。

 

だから、アユとの出合いには「一期一会」のわびさびを感じる。「鮎」は中国語でナマズを意味するので、片仮名の「アユ」が清楚なイメージにふさわしい。魚体の大きさは月の数に3をかけるとよい。アユ漁が解禁になる6月は18cm7月は21cmといった具合だ。吉野川をはじめ那賀川、勝浦川にもアユが多い。

 

 

徳島の河川がいつまでも清く美しいのは、県民の一人として嬉しいものだ。7月から「よしのがわ・リバー・キーパーズ」事業がスタートする。川に関わるイベントに参加すると、パスポートにスタンプ一個、川と触れあい親しんでほしい。梅雨明けとともに水辺のアウトドアスポーツの季節が到来する。ふるさとの川で水遊びに興じる真っ黒に日焼けした子供達、自然の恵みを感じて健やかに育つよう、豊かな自然環境を守っていきたい。

 

 

 

🌸136・夏ばてと阿波踊り 

徳島の夏は、何と言っても阿波踊り。よしこののリズムが聞こえてくると、心も身体も浮き浮きしますね。学校や仕事も夏休みで、ゆっくりと休養できた人もいるでしょう。でも、いつもと違った生活で身体が疲れたと感じる人も少なくないと思います。

 

日本の夏の温度と湿度は、実は熱帯なみ。あなたには「夏ばて」はありませんか?身体がだるく、食欲がなく、冷たいものばかり飲む、などの症状があれば、ご用心。さて、なぜ、夏ばてになるのでしょうか? 暑さは、生体にとって大変強いストレス。さらに、冷房などによる温度差も影響しています。そのうえ食事や生活の乱れが拍車をかけて調子を崩すのです。夏ばての解消の原則は、あくまで、適切な食事、運動、休養の3要素が大切です。この中では、夏は食欲が落ちて、十分な栄養がとれなことが多いので、食事についてポイントをしぼってみます。

 

130品目、多品目で少量食など、3回の食事をバランスのよくする以外にはありません。まず、食欲がないときの工夫として6つのヒントをお教えします。 

1)まず好きなもので、食べられるものから食べてみる。 

2)酢やレモンなどの柑橘類の酸味は、食欲を増進させる効果がある。梅干しであえものをつくる。酢の物、サラダ、焼き魚、焼き肉にレモンをかけるみるなど。 

3)香辛料を使ってみる。唐辛子(とうがらし)、マスタード、カレー粉、わさび、さんしょうなどいろんなスパイス。香りと辛みでめりはりをつける。辛いものを食べると、胃の粘膜にセンサーがあるのです。そして、辛い(hot)感覚を熱い(hot)と感じることで、発汗を促すことになる。汗がたくさん出てくると気化熱で涼しくなるというわけ。 

4)香りのよい野菜として、にら、にんにく、しょうが、パセリなどを使ってみる。 

5)塩分を少し濃くする。しょっぱさは、食欲を促します。汗を流すことで、ナトリウムの排泄は多くなり、暑さで血管も拡張しているので、血圧への影響はそれほどない。 

6)牛乳や乳製品をとる。ジュースやコーラを控えて、牛乳やヨーグルトをお勧めしたい。 

 

次に、夏ばての根本的に大切なこと。あっさりしたものとして摂取するもののなかには、水と炭水化物が多く、タンパク質の摂取が少ない場合が多いのです。ですから、蛋白質の摂取が重要です。体重が60kgのヒトは、通常1日に60gの蛋白質が必要です。運動選手の場合は、2倍の120gのタンパク質が必要なこともあります。タンパク質は、どのような食品に含まれているかと言うと、肉、魚、乳製品などです。

 

この数字を見ると、毎日これくらいの肉を十分食べているハズだ、と反論する人もあるでしょう。しかし、これにはトリックがあります。肉が100gあったとしても、100%全部がタンパク質ではないのです。肉によって大きく差がありますが、タンパク質は10-20%ほどしかありません。ほかは炭水化物と脂質なのです。良い肉は柔らかいですね。なぜかと言うと、脂(あぶら)がたくさん含まれているからです。牛肉で最高級のロースには、100g中に脂質が30gも含まれているのです。あまり脂が多い肉は、コレステロールが高くなるなど、健康によくありません。もし、高価な肉をもらった時には、あまり食べない方が賢明です。あなたの健康とあなたの命のために、筆者が身代わりになりましょう。その肉を筆者まで送って頂ければ、犠牲的精神により、やむを得ず私が食べてしまうこととします。そうすれば、あなたの健康は保たれますよ。 

 

冗談はさておき。皆様の健康に良い肉を紹介します。肉には、牛、豚、鶏などがあります。鶏肉はこれらの中で、最も脂質の含有量が低いのです。特に「ささみ」の場合は100%の中に約5gしか脂分がありません。鶏肉には全国でいろんな地鶏があります。最近のニュースで、徳島の阿波尾鶏が、名古屋コーチンを抜いて、出荷数が全国1位になりました。阿波尾鶏には良質のタンパク質が多くて栄養価が高く、逆に脂質の割合は低いのです。まさに究極のヘルシーな素材と言えます。

 

夏ばてが残っている人は、一度阿波尾鶏を召し上がってみて下さい。飲食店で食べてもよいし、買って帰って家で調理もできます。気に入れば、遠くの友人や親戚にも贈答用として、送ってあげてください。阿波踊りのように、身体も動かしながら、ヘルシーな食事でヘルシーを目指しましょう。

 

 

 

🌸138・歌舞伎のおおらかさ            

徳島に松竹大歌舞伎がやってきた。当地では久方ぶり。

今回の演目は、歌舞伎十八番の内から「毛抜(けぬき)」。

 

場面は、美人の誉れ高い小野小町を輩出した小野家である。縁組みがまとまった姫が病気になった。それも、髪の毛が逆立つという奇病で、一族は困り果てている。ここで市川團十郎が登場し、調査を始めた。不思議なことに床に置いた毛抜きがひとりでに踊りだす。一方、真鍮製のキセルは動かない。姫の櫛を調べた團十郎は、ものの見事に、悪い家老が仕掛けた天井裏の磁石を見破ったのである。舞台で使ったのは、馬蹄型の小さな磁石ではなく、東西南北を示す大きな羅針盤。方位計に磁力はなく、実際には鉄製の毛抜きが動くことはないが、この演出で作者の意図がよくわかる。

 

歌舞伎には、花と夢とウソがあるという。言い換えれば、華やかさと派手さ、現実離れした世界、衣装・音・ストーリーの誇大表現、の3要素だ。枝葉末節を気にせず、ゆったりとした気分で泣いたり笑ったりすると、心が癒される。元来、日本の生活・文化は太陽のようにおおらかだった。

 

 

しかし、現在、アナログからデジタルへ、婉曲から直接的表現へと変わりつつある。人間とは人の間に存在するが、人と人との間のクッションは次第になくなってきた。ハリネズミみたいに、お互いの針で傷つけあっていないだろうか?オブラートに包まれて、ふわふわした世界もまた良いものである。

 

 

 

🌸140・0を数える        

100年の暦
20
世紀から21世紀へと時代が移った。新しい世紀を迎え、皆様方の周りで、明るい展開はみられるだろうか。

 

2001年のカレンダーを見ながら、今年のスケジュールを考えている人も多いだろう。一方、最近の報道をみると、相変わらず、社会や教育のひずみを示すニュースが続いている。日本の政治は混沌とし、経済状況もなかなか上向いてこない。どうも、季節とともに世の中も寒々しているような気がする。

 

さて、ここで暦について若干語ろう。21世紀とは20012100年までだが、なぜだろうか。かつて暦を調節した時、紀元前100年から紀元前1年までの100年間を紀元前1世紀とした。そして、紀元後1-100年を1世紀とまとめた。ここには0年がない。0は16世紀にインドで発見されたのである。日本では、年齢を数える時に「数え」と「満」の2つの方法がある。月の暦でも、1月から始まって12月、その次は0ではなくまた1月だから、普通の感覚では、数えの方がわかりやすいかもしれない。

 

1年の最初は1月~2月という寒い冬の季節から始まる。しかし、初春という季語が示すように、春という字から物事が始まるのが、日本人には合っているのだろう。気候は冷たく身体は凍えていても、心の中は春と感じて、雪解けの日を待ち望んでいるのである。寒暖計を見ると0度の目盛り付近の気温が続いている。体調を崩さぬように、心の中は将来の希望で熱く燃え盛っていてほしい。また、100年後の教育や国づくりを考えながら、日本の国もフリーズすることなく発展していってほしい。

 

 

 

🌸141・オリジナル       

先日、文化の森の21世紀館で私は役者を演じ拍手喝采を浴びた。俳優になったわけではない、演劇ワークショップに参加したのである。

ニールサイモン作の父親役を端正な語りとかっこよい仕草で演じたところ「阿波弁のひょうきんな演技で個性的」とのコメントを頂いた。

 

的確な指導をするのは、脚本・演出家の内藤順子先生。東京で演劇活動を行い、徳島の劇団[WITH]で子供達に歌と踊りを教えている。このたび、子供の個性に合わせたオリジナル作品「21世紀へのマーチ」が、全国ミュージカルコンクールでベスト3に選出された。大人の劇団ばかりの中で、まさに快挙!4月には3劇団が宝塚市で入賞記念公演を行う。ストーリーは子供達がお互いに友人を思いやり成長していく物語。私は実際に公演を観たが、生き生きとした彼らの表情が印象的だった。

 

さて、20世紀の日本を振り替えると、経済性が重視され個人よりも組織が優先された。今や21世紀。人々の関心は、社会の発展や成長から個人の健康・娯楽などに移った。しかし、個人主義がはき違えられ勝手主義がまかり通っている。このままでは日本の将来が不安だ。今後、若者に求められるものは、知能指数(IQ)よりもむしろ感情指数(EQ)。基本的ルールやマナーを遵守し個を尊重しあう土俵の上で、21世紀へのオリジナルの技を追求していって欲しい、などとステージでタップダンスを踊る子供達を見ながら考えていた。

 

 

 

🌸142・新大学生は右脳を刺激しよう 

新大学生になった皆さん、おめでとう。希望に満ちたキャンパスライフがあなたを待っている。

 

これからの毎日は、高校生の時とは大きく異なる。大学では、優しく教えて育んでくれるなど、面倒はみてくれない。受け身でなく主体性をもって、自分自身で切り開いていく姿勢が大切である。今の課題は何か何が目的で、どんな手段で、どう行動するか?何を優先し、誰に相談してどう方針を決定していくか?

 

ここで重要なのは、左脳と右脳の両者をバランスよく使うことだ。左脳は言語、計算、判断などを司る理性脳と呼ばれる。一方、右脳は時間や空間、感性などに関わる芸術脳。例えば、遠くに友人を見つけた場合左脳では1.7mほどの物体で頭胴足がある様子、犬ではなく人間の映像みたいだ、と判断する。一方、右脳はあの動作と仕草から恋する○○さんだろうと直感するのだ。 

 

皆さんは、今までに左脳は十分にトレーニングされてきている。今後のポイントは右脳だ。勉強や仕事のスケジュールを立てるとき、内容や手段、予想など左脳でデジタル的に考えるだけでは十分とは言えない。自分のひらめき、周囲の人々の気持ち、様々な状況も右脳でアナログ的に感じ、総合判断してほしい。右脳を鍛錬するには、スポーツや音楽、絵画、遊びに没頭するとよい。例えば、俳句や川柳は左脳で作るのではない。まず右脳で喜びや怒り、悲しみを感じ、その情感を表すために左脳から言葉を借りてくるのである。まず感動するのは右脳だ。 

 

 

私は、35歳からスケートを始め、気がつけば10年たった。平成131月には、徳島県代表選手として山梨冬期国体アイススケート・スピード部門・成年の部に出場させて頂いた。今回、五輪メダリストの黒岩敏幸選手と一緒に滑走できたのは私の財産だ。科学的なトレーニング内容は左脳で判断し、その日の筋肉の調子や気分に応じて右脳で補正しながら、練習している日々である。

 

 

 

🌸143・桜を愛でる      

今年の冬は寒かった。南国の徳島でも、一面銀世界になったこともある。じっと春の到来を待っていた桜の木。ようやくつぼみが開き燃え上がる。その一瞬に生命の息吹が感じられる。

 

サクラの語源には「咲く」とか「栄える」という意味がある。鎌倉時代には潔(いさぎよ)さという美意識が定着した。元禄の頃には遊び心に満ちた華やかな花見。桜花のもとで三味線をつま弾き恋文を書いた。春の陽光を浴びて咲き競う淡紅白の花びらはまさに日本の文化、心の花だ。

 

一方、夜の桜もまた良い。次のような俳句がある。

     夕桜 あの家この家に 琴鳴りて愛(いと)おしい

 

花と家族団欒の情景が目に浮かぶ。桜の花言葉は良い教育、独立、象徴は謙譲、歓待という。一度、花を愛(め)で、桜餅を味わい、古(いにしえ)の音楽を聴きながら楽しんでみてはいかがだろうか?

 

 

 

🌸144・インドの数学 

日進月歩のコンピュータ業界。IT産業が世界経済に大きく影響し、驚くほどの速さで世の中が変わりつつある。

 

何か不思議な感じ。目に見えず、手に取れない物に巨万の富が内在するからだ。日本はグローバルな動きについていけるだろうか?この業界のトピックスは、インド出身コンピュータ技術者の優秀さ。インド工科大学には、是非とも卒業生を欲しいと世界中からの申し出が殺到している。入学競争率は50倍と狭き門。合格した子供たちは、貧困から脱出するため、命をかけて数学を学ぶ。ハングリー精神が全く違う。自分の人生と家族の将来がかかっているからだ。

 

政府も、国力を高めるために、国際的な激しい競争にも勝てる人材を育てている。さて、わが国ではどうだろうか。いじめ、不登校、引きこもりなどの問題が山積み。子育ても子育ちも難しい。新学習指導要領では、ゆとり教育や創造精神の再生を目指す。総合的な学習の時間を設け、知識・理解よりも関心・意欲・態度など「生きる力」に評価が移りつつある。しかし実際には、勉強習慣がなくなってきたのが大きな問題だ。

 

ちょうど新学期が始まったばかり。教育改革により子供たちが、感性豊かに伸び伸びと育ってほしい。ただ、円周率が3.14から約3になるなどカリキュラムが優しくなり過ぎた気もする。インドの子供達に太刀打ちできるだろうか、と私はちょっぴり不安。あなたはどう思われますか?

    

 

            

🌸145・歌とダンスと音楽と 

ステージでは二人の男性ダンサーが踊っている。白のシャツに黒のズボン姿で、身体をくねらせ長い手足が印象的だ。そこに一人の女性が加わった。ひらひらとしたドレスを身に纏い、バイオリンを華麗に弾き始めた。最初は、それぞれのペースでばらばらだったが、次第に音楽と舞踏が互いに歩み寄って、融合してきた・・・。

 

これは、先日、新国立劇場で行われたコンテンポラリ-ダンス「Close the door, open your mouth」の一こまである。振付は世界で注目を浴びている伊藤キム氏。舞台には伊藤本人、一流のダンサー、歌手、バイオリンやチェロなどの演奏者が共演した。

 

ダンサーは、バイオリンの波動に共鳴したのかのように、衝動にかられて歌い始めたのである。驚いたことに、二人のダンサーはカウンターテナーだった。裏声を使って、澄み切った高い声で歌う。その発声法は正統なもので、専門的な指導を受けて訓練を続けていることがわかる。一流のダンサーであるとともに一流の歌手でもあったのだ。

 

清々しい声は私の心の琴線を振るわせ、心の中に様々な映像が蘇ってきた。透明感のある声で米良美一さんがテーマ曲を歌っていた映画「もののけ姫」。この映画がきっかけで、カウンターテナー歌手が世に認められたのだった。また、18世紀に活躍したソプラノ歌手ファリネッリを主人公に描いた映画「カストラート」。兄に去勢(カストレーション)されたことで「神の声」を与えられ、兄が作曲した歌で名声を勝ち得たが、天才作曲家ヘンデルとの確執もあり、波乱に満ちた生涯を送ったのだった。

 

こんな思いに耽っていて、ハッと我にかえった。静まりかえった会場に、カウンターテナーの声が小さく響きだす。一筋の光のようだ。これに、もう一人の声が加わり、バイオリンやビオラ、チェロなど弦楽四重奏がおり重なっていくハーモニーの世界。音楽が盛り上がれば、舞踏も激しくなりクライマックスへ。調子に乗りすぎて、二人のダンサーは演奏している女性のバイオリニストの背中と足を支え、高々と頭の上に持ち上げてしまった。それでも、彼女は全く気に介さず、難曲を完璧に弾き続けていたのである。

 

 

この舞台では、ダンサーは舞踏で、演奏家は音楽で、演出家はストーリーで互いにコミュニケーションを行っている。嬉しい、悲しい、腹が立つという基本的な気持ちだけでなく、気恥ずかしい、寂しい、ためらい、などの複雑な情感も表現している。それも、言葉ではなく、ちょっとした仕草やウィットを込めた音楽の編曲によって、観衆を癒し和ませてくれる、これらがとっても魅力的でお洒落に感じたのである。

 

以前米国でクラシックバレーの舞台を観たことがある。アメリカで生まれ育ったバレリーナは、マニュアルで覚えたような手足の動きだった。一方、韓国出身のキムというプリマドンナの踊りは、恥じらいやはにかみなど、東洋の文化圏で育まれて体得された細かな情感が伝わってきた。また、インドネシアのダンスのように、ちょっとした眼差しや手指の先のほんのわずかな動きにも、ほのかな色気が漂っていた。

 

近年、日本の新しいダンスには、大きな展開がみられる。フランスでは1960年代に、近代思想を中心とするあらゆる既成概念や芸術意識が見直される芸術革命があり、ここからヌーヴェルダンスが誕生した。その後、70年代後半から急激な社会風俗の変化に対応した若者文化が花開いた。1986年には勅使河原三郎が国際コンクールで入賞し、現代日本のコンテンポラリーダンスの活躍へとつながってきている。今や、世界はグローバルスタンダードの時代。今後、諸外国の言葉、文化、習慣、芸術、芸能に触れて感性を磨けば、日本人の舞踏家は、さらに世界の舞台で羽ばたくことになるだろう。

 

 

 

🌸146・梅の実            

春からだんだんに温かくなり、梅雨(つゆ)の季節になった。「天の恵み」により、大地は潤い作物は育つ。梅の木にも大きな実がつき収穫できる。

 

梅という字は「木」と「毎」とから成りたつ。毎には、いつも、常に、定期的、継続、子孫、果実という意味がある。だから、梅とは、「毎年たくさんの実をつける木」のこと。また、梅の語源として、「ウ」はうむ、「メ」は実で、熟実「うむみ」の意とする説もある。

さて、梅の実を手に入れたら、漬けて寝かせて置くと、美味しい梅酒のできあがり。さわやかな香りとさっぱりとした酸味が特徴だ。数カ月待つ愉しみも、またよいだろう。

 

また、しその葉で塩漬けすると、梅干しが完成。梅干は古来から「三毒を断つ」と言い伝えられている。食べ物の毒、血の毒、水の毒の3つだ。お弁当に入れると、殺菌作用により腐敗を防ぐ。整腸作用により下痢にも効き目がある。

梅干しのすっぱさは、主に、クエン酸などの有機酸が含まれているからだ。クエン酸は脳を刺激し、脳からの司令により、胃腸が活発に動き食欲が増進してくる。体調を崩した時には、「おかゆと梅干し」を勧めたい。これからさらに暑くなり、夏が到来する。夏ばての予防にはぜひとも梅を活用してほしい。

 

 

今回は梅について触れたが、次回は、木偏(きへん)を水編(さんずいへん)に変えて、「海」の話へと進みたいと思う。

 

 

 

🌸147・食物サイクル  

私が今立っているのは、アフリカの大草原。以前は南ロ-デシア、現在はジンバブエと呼ばれている国だ。人も動物も植物も、すべてが大自然の中に溶けこみ、微妙なバランスが保たれている。植物は昆虫に、昆虫は小動物に、小動物は大きな動物に食べられてしまう。しかし、大動物が死んでもその命は大地となってよみがえり、再び植物を育てるのに役立つ。この食物連鎖に、人間が関わっているのはほんの少しだけである。

 

先日、徳島のホタルが絶滅の危機、というニュ-スがあった。驚くとともに、子供の頃に見た幻影の情景が懐かしく思い出され、何とも言えない気持ちに。さらに追い打ちをかけるように、貝塚市で「トンボの池がピンチ」との報道。だれかが池に放った数匹のアメリカザリガニがあっという間に増え、トンボの幼虫のヤゴが激減。水を浄化する「クロモ」まで食べ尽くされ、水も濁ってきた。生態系はささいなことで壊れてしまう。

 

近年、問題となっている米国産のバスの激増。レジャ-の一つにもなり、賛否両論があるのは理解できる。でも、キャッチアンドリリ-スは、本当に命の大切さを教えているだろうか。食べられることで役割を果たし、命の尊厳が伝わるのではなかろうか。

 

いちど、家族や友人と語りあってみよう。人間も動物の肉を食べて毎日を生きているのだ。まず身の周りにあることから考えて、徳島、日本、地球全体へと視点を広げていきたいものである。

 

                

 

🌸149・わからないのがよい            

映画やテレビドラマのストーリーは、時代とともに変わってきている。以前には、純愛ロマンスに涙したり、大金目的の銀行強盗にハラハラしたりと。私たちの夢や希望が、そこに投影されていた。

 

現代、豊かな日本では、物や金を得るという筋書きはあまり流行らない。一方、人と人との心理的な関わりを描いたヒューマンもの、サイコサスペンス、コメディなどに、人気があるようだ。そういえば、先日、映画をみた。「What women want(女性が欲しがっているもの)」。

 

あるハンサムな男性は、女性の心を瞬時に読める才能がある。女性の考えが手に取るようにわかるので、思い通りにコントロールできる気がする。でも、毎朝、「おはよう」と愛想良く声をかけてくれる女子事務員の本心が、全く正反対であることを知り、愕然‼ 悩んでみても仕方がない。羨ましいようだが、そうではないようである。

 

 

逆のパターンである日本映画の「サトラレ」もあった。主人公は、若い外科医で、子供の頃から秀才の誉れ高い青年。念の力があまりに強いため、考えていることが周囲の人々に筒抜けになってしまう。自分の気持ちがすべて悟られてしまうのだ。ガールフレンドに愛の告白をしようとする時には、すでに相手は知っているということ。私たち人間は、他の動物と異なって言葉によって相互に理解できる。ある程度はわかりあえるが、お互いに気持ちがはっきりわからない部分があるから、うまくつきあっていけるのではないだろうか?

 

 

 

🌸150・世界一のバンジージャンプ  

世界一のバンジージャンプ。降下距離は111m、ビルなら30階ほどの高さだろうか。

今、私はまさに飛ぶところ。眼下のザンベジ川を見ると、目がくらみ、足がすくんでしまう。顎をあげて、はるか前方の山々に向かって、さあ行くぞ、ジャンプだ。「わぁーーー!」

 

私は、国際学会でアフリカ南部のジンバブエに来ている。かつては、南ローデシアと呼ばれた国だ。隣のザンビアとの国境に流れるザンベジ川。ここに世界三大の滝の一つ「ビクトリアの滝」がある。ジンバブエ側で高さ120mの気球に乗ってみた。見渡す限りの地平線の中に、モクモクと舞い上がる白い水煙。滝の大きさと比べると、人間や動物は、芥子(けし)粒みたいに小さい。滝めぐりのツアーは、驚きの連続。天地を揺るがすような轟音とともに、大河がまっ逆さまに落ちていく。天気が良くても、飛び散った水のしぶきが数百mも飛び散り、スコールのような雨が降る。

 

身体がぐっしょり濡れても、心はなぜか癒されるようで気持ちがいい。7色の虹が私たちを包みこみ、自然と一体化したかのようだった。まさに、莫大な水を飲みこむ地球の割れ目。なぜ、自然はこのような大瀑布を作ったのだろうか?こんなに大量の水はいったいどこからやってくるのだろうか?遠くから眺めると、さっき飛んだ111mは、大したことがないように思える。小さな人間が、大きな水のパワーをもらったような気がした。

 

 

 

🌸151・四季の色彩 

先日、国際的なバレー団の舞踏「四季」を観た。踊りとともに奏でられるのは、クラシックの名曲「ビバルディの四季」。最初に音楽があり、それに合わせて振付したものだ。春はホ長調の曲がよく似合う。

 

後方のスクリ-ンには、青空にぽっかり浮かぶ白い雲。パステルカラーの衣装をまとい、軽やかなステップが続く。うだるように暑い夏。音楽の色も真っ赤だ。第2楽章ではコンピュータ映像も加わり、雷鳴が轟き、稲妻が走る。身のこなしで、心の微妙な動きが伝わってくる。実りの秋。茶色や金色のパンタロンがひらひらとたなびくバレリーナ。収穫の喜びはどこも同じで、みんなが輪になって踊りだす。和音も明るく展開し、時にピリッとしたハーモニーのスパイスが心地よい。

 

雪や氷で閉じこめられる灰色の冬。雪がしんしんと降り続く。優雅で憩いの時間はほんのひとときで夢のよう。ラストシーンでは、舞台の中央で倒れる男性を、天使の女性が優しく包み込んで癒していた。演出を見て思い出したのは、キトラ古墳の壁画のニュース。古代中国には方角の守護神「四神」がいた。東は青竜(せいりゅう)、南は朱雀(すざく)、西は白虎(びゃっこ)、北は玄武(げんぶ)(亀と蛇)という神獣だ。これらが春夏秋冬に対応するとも言われ、色の雰囲気も似ている。もしかしたら、喜太郎がテーマ曲を作った「シルクロード」を通じて、四季の色彩感が中国からヨーロッパに伝わったのかもしれない。

 

 

 

🌸152・化石はロマン    

先日、郷土文化会館で開催された化石展を訪れた。以前から恐竜や翼竜の歯の化石がニュースとなり、静かなブームを呼んでいる。アンモナイトやサンゴを見つめていると、タイムスリップしたような気分になる。

 

さて、化石とは石が化けると書くが、ただの石ではない。地質時代に生きた動植物の遺骸が残ったもの。化石になるには条件がある。川、池、湖、海など、水によって土や砂が運ばれて、溜まる場所が必要。土砂が堆積したところに埋もれ、圧力で水や空気が押し出され、最低2000年かかって化石となる。生命を誕生させ育む水は、化石の形成にも深く関わっているのだ。

化石研究会の鎌田会長は、熱っぽく語る。現代人が出現して、わずか10万年ほど。目の前にあるこの化石は1-2億年前のもの。石を割って化石がパっと出た瞬間、何千万何億年の昔、太古の世界に時空を越えて行ける。岩石に封じ込められた遠い過去の発見が、私たちに与えてくれる新しい感動の数々。

 

 

インターネットでは、化石というキーワードで簡単に検索できる。まずホームページで化石に触れ、生命の移り変わりやその尊さを感じてはいかがだろうか? ボーとした「生きる化石」にはならず、情熱を持ち潤いのある人生を目指してみよう。なお、化石はギリシア語を語源とし、英語でfossil(ホッシル)という。掘る+知る、古代のロマンを欲っしる、という由来があるかもしれないと、迷(?)学者の私は考えている。

 

 

 

🌸153・和魂洋才        

最近、様々な事件が連続している日本。荒廃しつつある教育や社会が不安だ。

古き良き時代とはまったく違う。日本人の気質が変わってきたのだろうか?日本では古来より、やおろずの神が活躍し、役割分担でうまく調和してきた。人々の生活はアナログ的でファジー的。曖昧模糊とした雰囲気で、喧嘩をせずまるく治まってきた。

 

一方、諸外国では状況が違う。一神教が多く、至高至善の神がすべてを統合。デジタル的思考で黒か白かをはっきりさせ、他の価値観は共存できない。

 

さて、旧1万円札でおなじみの聖徳太子が制定した憲法十七条をみてみよう。「一に曰く、和を以て貴しとなし」。まずは、豪族間の協調が大切である。彼は皇室出身で、神道を重要視するとともに、卓越した仏教学者でもあった。「二に曰く、篤く三宝を敬へ」。三宝とは仏(仏像)、法(経典)、僧(僧侶)のこと。聖徳太子は当時、世界で初めて、神道と仏教という二つの宗教を融合させた。素晴らしい偉業であり快挙。

お互いに仲良くしながら、優れた技術は大陸から学んで取り入れる「和魂漢才」。この精神こそが、日本人のバックボーンとなっているのだ。

 

今後のキーワードは「和魂洋才」。日本固有の精神と西洋伝来の学問を備え持つこと。これを目指せば、毎日がもっとハッピーになることだろう。

 

 

 

🌸154・海岸線は変わる 

先月は化石について話をした。「遠い昔のことなんて、現代の生活に全然関係ないよ」と、思う人がいるかもしれない。でも、実は密接なつながりがある。私たちが営んでいる豊かで便利な暮らし。衣食住はお洒落で、車で移動できる。これらを支えているものは何だろうか。石炭や石油などの資源である。これは化石燃料と呼ばれ、大昔の植物や動物が長年かかって変化したもの。人類はこれらを巧みに使い、産業革命以降、工業社会を作り上げてきた。今までに膨大な量の石油を使ってきたため、残っている埋蔵量はあと40年ほどしかないという。 

 

石炭や石油を燃やし続けてきたことで、二酸化炭素(CO2)が地球に溜まってきた。CO2は温室効果ガスの一つで、ちょうど温室のガラスのように地球を包んで暖めている。人類の活動により排出されるCO2が急激に増え、「地球の温暖化」が問題だ。

「京都議定書」にみられるように、世界で協調して対策を講じねばならない。21世紀末には、地球全体の平均気温は約2℃(1-3.5)上昇するとの予測。気温の上昇によって、南極や北極の氷が解ける。海水面は約50cm(15-95cm)上昇するという。そうなると、海沿いにある町は、海に沈んでしまうかもしれない。 

 

徳島の川や海の水は清く、海岸線も美しい。風光明媚なスポットも数多く、秋の行楽に最適だ。今から100年後、ドライブしながら眺める景色はどのように変わっているだろうか。

 

 

 

🌸155・秋のコンサート  

仲秋の名月のころ、「秋のしらべ」コンサートに足を運んだ。

 

全日本コンクール入賞歴を有する音楽家が出演。リコーダーの庄野龍夫氏とギターの平岡範彦氏である。二人は篠笛と三弦に持ち替え、和楽を奏でた。これに尺八の山上明山氏が加わり、素晴らしいアンサンブルが響きわたった。

 

今回の邦楽は、ちょっとお洒落な試み。日本古来の音階に、時に現代風の和音も合わさる。その安堵感と緊張感のバランスがいい。次第に幻想の世界に引き込まれ心に広がるイメージ。秋の夜、月がぽっかり浮かび風が吹き抜けていく。日本古来の花鳥風月の趣と言えるだろうか。 

 

 

日本人の特徴として、クラシックは右脳で聴き、邦楽や言葉は左脳で聴くという。

 

舞台の先生方は、大脳のスイッチを切り替えて演奏しているのだろうか?いや、おそらく左右の脳を活性化し統合させているのだろう。今後は、東西を融合する方向に進んでいくような気がする。

 

 

 

🌸157・月見と雅楽 

水面(みなも)に漂う紅葉の葉。夜空には、ぽっかりとまん丸い月がこちらを眺めている。

 

徳島市の新町川のほとりで、宮廷の調べを聴く「観月雅楽演奏会」が先日行われた。水辺に流れる雅楽の音楽。簫(しょう)や篳篥(ひちりき)が奏でる荘厳な音色は、私たちの心を震わせる。直垂(ひたたれ)を身にまとい、幻想的な舞まで披露された。悠久の時を越え、平安時代にタイムスリップしたかのような幽玄の世界だ。秋になると、日本古来の趣が感じられる。空気が澄んでいるので、月がきれいに見える。

 

だから、旧暦の815日の満月は1年で最も美しく、「仲秋の名月」とか「十五夜」と呼ばれる。翌日は、十六夜(いざよい)の月。月見にはぴったりの時間帯だ。子供のころ、縁側や窓辺に、だんご、すすき、里芋などを飾って秋の名月を鑑賞した人も多いだろう。その情景では、風がすすきを吹き抜ける自然の音こそが、音楽であった。じっと月を眺めると、うさぎが餅をついているように思えたものだ。

 

毎晩、月が東の空から顔を見せる時刻は遅くなる。だから、その翌日からは、立待月、居待月、寝待月と呼ばれている。一カ月後、旧暦の913日になると、次に美しいとされる「十三夜(じゅうさんや)」を楽しめる。だんごやすすきに加え、枝豆や栗なども供える。月の光を身体いっぱいに浴びながら、はるか彼方の月に想いを寄せてみよう。いちど、月を愛でながら、秋の風流を感じてみてはいかがであろうか?

 

 

 

 

🌸158・川の流れのように 

「川の流れのように」の歌が会場全体を包み込む。観客全員が無意識のうちに自然と口ずさんでしまう。クライマックスにぴったり。私たちの身体と心は、リズムに合わせてゆったりと大きく揺らいでいた。

 

先日、徳島に演劇「美空ひばり物語」がやってきた。全国ツアー中で、まさに芸術の秋にふさわしい。美空ひばりの人生を、子供の頃から描いたもの。ひばり役は浅茅陽子が演じ、母親役には南田洋子、弟役には国広富之と、豪華キャストだ。また、江利チエミと共に「三人娘」と呼ばれていた雪村いづみは、ひばりとずっと親交を深めていた。複雑な想いを持ちながらの歌や演技はとてもお洒落だった。

 

ストーリーには山あり谷あり。笑いもあれば、涙も流れる。不屈の精神で足の痛みに耐えたり、東京ドームのこけらおとしで不死鳥のごとく蘇ったりと、わくわく、はらはらの連続だった。

 

ひばりさんは子供の頃、巡業中に高知県の大豊町でバス事故に会い、九死に一生を得た。その時、日本一の大杉に向かって、「日本一の歌手になるぞ」と願を掛け、美しい空に飛ぶひばりを見て芸名を決めたシーンは、特に印象深かった。

 

吉野川の源は高知県にあり、多くの雨が川の流れをつくり、樹木を育てている。音楽療法の研究調査によると、中高年が好きな歌手のトップは美空ひばり。日本人の唄心や人生感の源がひばりの歌に感じられ、多くのファンがひばりを長年育ててきたのではないだろうか。

 

 

 

🌸15912月は「合唱」  

空のかなたから、ひらりとドイツ人が舞い降りてきた。着地したのは,徳島城博物館の庭園。

 

先日、ここでエンゲル記念市民コンサートが開かれた。笛や三味線の「阿波踊り」から,次第にベートーベンの第九交響曲「合唱」へと続く。演奏は富岡西と阿南高専ブラスバンドだ。音楽に加えて演劇のストーリーも興味深い。特に印象的だったのが,指揮棒が若い音楽家に託される場面。脚本や演出,監督,演奏,合唱など、みんなの力を合わせた秀作だった。パウル・エンゲル氏は,かつて板東俘虜収容所で活躍したバイオリニスト。楽団を誕生させ,音楽の素晴らしさを人々に広めたのだ。その功績が徳島に、そして全国へと受け継がれている。

 

さて,12月にはあちらこちらで「合唱」が演奏されている。本邦で初演されたのは1918年で、場所は板東俘虜収容所。その後、日本では暮れの「第九」現象が見られるようになった。その理由として「第九忠臣蔵説」がある。本来は、越年資金を願う楽員たちのための演奏会だった。これに最後の交響曲という特別な意義を感じる日本人の心情が重なり、いつも満員となる。「合唱」の終楽章には、来世への道のりが示唆されているという。読者の皆さんはどのような想いで聴いているだろうか? 

 

 

今、徳島の芸術文化はダイナミックに展開しつつあるようだ。エンゲル氏が徳島公園から天国に帰る際に言った。「心の音楽を次の世代に伝えていきましょう」と。

 

 

 

🌸161・心は強く          

20世紀末から21世紀の初頭には様々なことがあった。昨年末には敬宮愛子様がお生まれになられ、誠に喜ばしい限りである。

 

2002年となった、実は本日15日に生まれたのが夏目漱石。「三四郎」は漱石の自伝的な小説として知られている。田舎の高校を卒業して東京の大学に入り、新しい空気に触れた。当時は混迷後の急激な経済発展の時期。「凡ての物が破壊されつゝある様に見える。さうして凡ての物が同時に建設されつゝある様に見える」と。

 

現代も同様に、経済や世界情勢は不安定だ。でも「こころ」はしっかりと持ちたい。漱石の小説「こころ」の主人公も、我慢と有言実行の心を有していたようだ。

 

1月は睦月と呼ばれる。睦みあう、仲良く親しみあうという意味だ。新しい年を、老いも若きも、みんなで集い合いたい。男の子は度胸、女の子は愛敬(嬌)。仁と礼の心を持ちすくすくと育つ、良き年になってほしい。

 

 

 

🌸164・キューバの幸せ 

キューバは、コロンブスが1492年に発見し「人類が地上で目にした最も美しい土地」と絶賛した島。日本では、野球やバレーボール、ラテン音楽のサルサほどが知られているだけ。このたび私は、メンタルヘルスの国際学会のためキューバを訪れ、人々に密着して過ごした。

 

同国は社会主義で、国家予算の何と約4割が教育と医療に。普通に働けば普通の生活ができる。みんな陽気で親切で、全く人種差別がない。経済的発展より、人間作りに力が注がれている。

 

驚いたのは、至る所に音楽が満ちあふれていること。テレビ番組にサルサあり、エアロビクスあり。家庭では子供と親とが手を取り合いダンスを楽しむ。若者も中年も音楽が大好き。高齢者同士の恋もごく自然にあり、ハッピーの様子だ。

 

 

なぜそうなのか、考えた。経済的余裕はないが、心の触れ合いが相互にある。貧富の差がなく余分なお金がないからこそ、トラブルがない。人生の目標が、シャープやフラットでなく、ナチュラルの自分で決定できるからだろう。あなたの場合はいかがですか?

 

 

 

 

🌸165・しなやかな繭の糸  

先日訪れたのが、長野県の岡谷市。糸の都として世界に名をとどろかせた町である。蚕糸記念館と美術考古館には、当時使われた様々な繰糸機が並ぶ。傍らには本当の繭(まゆ)が水に浮かび、実際に糸を繰ってみる体験ができた。繭から出てくる糸を、丸い形の木わくに巻きつけ、クルクルと器械を回し糸を紡ぐのだ。

 

それにしても、不思議!こんなに小さい繭から1000m以上もの長い糸が生まれるなんて。そして、こんなに細くても柔軟性があって強い。これらが合わさって糸になり、布になり、そして目をひくような美しい織物になるのだ。

 

このたび岡谷市に来たのは、アイススケート競技会に参加するため。全国マスターズ大会が、全日本実業団大会と一緒に開催されたのだ。私は42歳から46歳まで、冬期国体スピードスケート500m1000mに出場させていただいた。47歳の今年からは、かつて都道府県代表国体選手だった中高年アスリートの仲間の一員に。課題の一つであるカーブの滑走は、まだまだ未熟ではあるが、年々良くなり進化しつつある。 

 

驚かされたのが、ともに生涯スポーツを実践している諸先輩方。宿舎のお風呂で、御一緒させていただいた。生活習慣病を専門とする私は、人の身体の筋肉や脂肪量が気になる。一瞬見ただけで、条件反射のように分析してしまうのだ。どの方にも全然無駄なぜい肉がない。おそらく、長年きちんとしたライフスタイルを送ってきたのだろう。 

 

 

暖かい湯気に包まれながら、同じ道を目指す者同志で語りあった。やはり、裸の付き合いはいい。わずか一言でも、互いに理解し共感し、心が通いあえる。60歳を越えても、気持ちは前向きだ。チャレンジスピリットを持ち、自分には厳しく、人には優しい。そもそも、優秀な人は優しい。「優」という漢字は「人偏(にんべん)に憂(うれ)う」と書く。人のことを心配できるほど、心が広くて強い。

 

後輩にアドバイスしたり、世話役をしたり、先輩方は結構、楽しんでいるかのようだ。繭から生まれる白く細い糸は、しなやかで切れず、強くて長い。同じように、私たちも、柔軟に考えて腹をたてず、目標を設定して努力を続けていきたいものである。